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線路が無いところばかり、北海道の日本海側をバスで北上した

AIが書いた記事
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2025年9月、8日かけて仙台から稚内まで上がった。北海道に入ってからは日本海側をずっと北へ進む形で、その区間で乗った乗り物のかなりの部分がバスだった。

先に書いておくとバスは好きで乗っている。ターミナルの路線図を眺めて次にどれへ乗るか決めるところからが楽しいし、鉄道より停留所が細かいぶん町の作りがよく見える。ただ、この海岸線でバスが主役になるのには別の理由もあって、そこにはもう鉄道がほとんど残っていない。

何に乗っていたか

あとからGoogleのタイムラインを見返したら、区間ごとの手段と距離が全部記録されていた。それを並べ直すと、自分の記憶よりだいぶ雑多な旅だったことが分かる。

使ったのは、シェアサイクル、路面電車、鉄道、路線バス、飛行機、そして徒歩。いちばん意外だったのが徒歩の多さで、1回で9kmを超える区間があった。

函館の朝

9月8日は5時51分に動き出している。シェアサイクルで5.3km走って湯の川へ。市電の終点まで自転車で行って、そこから始発の電車に乗るためだ。

そこから市電を3本乗り継いでいる。湯の川から函館どつく前まで9.3km、折り返して谷地頭まで3.0km、さらに3.0km。朝のうちに函館市電の終点を3つとも踏んでいる。合計15.3kmで、6時23分から7時55分まで1時間半ほど。そのあと駅までは歩いた。

そして8時57分の列車で木古内へ向かった。ここから先の話は別の記事に書いた

木古内から江差、そしてせたな

木古内から先には線路が無い。江差線の木古内から江差までが2014年5月12日に廃止されているので、その方向はバスになる。11時28分の便で44.9kmを乗って、江差の少し手前で降りた。

そこから江差の中心までは3.0kmを47分かけて歩いている。次のバスを待つより早い距離だったということだ。この日はさらに夕方から3本のバスを乗り継いで、104kmを北上してせたなに入っている。

9.42km

翌日がこの旅でいちばん歩いた日だった。

せたなから10.4kmだけバスに乗って、11時53分に降りている。そこから13時54分まで、2時間1分かけて9.42kmを歩いた。海沿いの道をひたすら北へ進んだことになる。

この区間にバスが無かったのか、あっても間隔が空いていたのかは記録からは分からない。分かるのは、2時間歩いたという事実だけだ。時刻表の隙間は、結局こうやって足で埋まる。そのあと33kmをバスで移動して寿都に着いた。

寿都

ここは瀬棚線の終点だったせたなから来て、次は岩内へ抜ける中継地になる。瀬棚線は国縫から瀬棚までで、1987年3月16日に廃止されている。

寿都鉄道すつ駅跡に立つ白い駅名標
寿都で見つけた駅名標。横に「寿都鉄道 すつ駅の跡」と書いてある。

建物の壁際にこれが立っていた。すつ、Sutsu、隣は「たるきし」。寿都鉄道は黒松内から寿都までを結んでいた私鉄で、1972年5月11日に廃止されている。駅は黒松内、中ノ川、湯別、樽岸、寿都の5つで、看板の「たるきし」はその樽岸だ。半世紀以上前に消えた鉄道の駅名標が、跡地の目印として立っている。

いまの寿都の交通はニセコバスが担っていて、寿都ターミナルの時刻表には岩内ターミナル、長万部駅前、黒松内温泉、原歌、栄浜の行き先が並ぶ。2025年4月1日改正のものが貼ってあった。鉄道が結んでいた黒松内と、鉄道が来たことのない岩内が、同じ表に並んでいる。

岩内

寿都から岩内までは43.7km、1時間10分のバスだった。雷電温泉郷と港町と追分を経由する雷電線で、車両はニセコバス。

岩内線は函館本線の小沢から岩内までを結んでいて、1985年7月1日に廃止されている。いま町の交通の中心は岩内バスターミナルで、待合室に発着路線図が大きく貼ってある。赤い線が中央バスで、札樽自動車道を通って小樽と札幌へ。青い線がニセコバスで、国富から小沢と倶知安へ、それと雷電温泉郷から寿都と栄浜へ。鉄道の駅があった町が、そのままバスターミナルの町になっている。

珊内

翌朝は岩内から積丹半島の西岸を北へ上がった。ここは廃線ですらない。もともと鉄道が通ったことがない海岸だ。のりば3に「川白方面 岩内高校方面」と書いてあって、そこに小さなバスが停まっていた。のりばの名前は「しおかぜライン」。

バス車内の次停留所表示に珊内と出ている
つぎは珊内。その下に川白、川白オネナイと並んでいる。

車内の表示に出てくる停留所の名前が良かった。川白、川白オネナイ、珊内。読み方が分からないまま流れていく。窓の外は断崖とトンネルの繰り返しだ。

そしてここでも歩いている。9時7分から12時9分まで、3時間かけて3.5km。平均1.2km/hなので、ほとんど止まっている時間だ。2時間で9.4km進んだ前日とは、同じ徒歩でも数字がまるで違う。

午後は南下して余市へ出て、そこからは鉄道になった。函館本線の山線で倶知安、長万部と乗り継いで、夜には太平洋側の登別まで来ている。

線路があるところでは鉄道に乗る

9月11日は一日中鉄道だった。室蘭本線と千歳線で札幌へ出て、そこから小樽や余市や岩見沢のほうへ何度も往復している。記録を見ると、この日だけで鉄道の区間が13本ある。

線路があるならそれに乗る。無いからバスになるというだけの話で、バスと鉄道のどちらが好きかという問題ではない。札幌まで来ると本数も車両も一気に増えて、日本海側の薄さが裏側から見えてくる。

翌12日は札幌市電にも乗って、それから126kmのバスで一気に留萌まで北上した。

留萌

9月13日の朝は留萌にいた。ここが、線路の消え方がいちばんはっきり見える場所だった。

草に覆われた線路とホームが駅舎の前に残っている
留萌駅。線路もホームも残っていて、草に埋もれている。

留萌本線は、留萌から増毛までが2016年12月5日に、石狩沼田から留萌までが2023年に廃止された。それで留萌には線路が来なくなった。

撤去されていない。レールも枕木もホームもそのまま置いてあって、間から草が伸びている。錆の色が均一に回っているので、もう何年も列車が乗っていないことが見ただけで分かる。廃線跡というと築堤や橋台だけが残っている状態を想像しがちだけど、ここはまだ線路の形をしている。

建物の中には、留萌駅と書かれた掲示と、昔の路線図と、古い写真が並べてあった。ここも寿都と同じで、無くなったものを残す側に町が回っている。

羽幌線の跡

留萌からは沿岸バスに乗って北へ向かった。羽幌まで49.0km、そこから93.7km、さらに39.6km。この日だけでバスに180km以上乗っている。これがそのまま羽幌線の跡をたどる形になる。

羽幌線は留萌から幌延までの141.1kmで、1987年3月30日に廃止されている。140kmを超える路線が丸ごと消えて、そこにバスが通っている。途中の停留所は、原野の中にポールが1本立っているだけ、みたいな場所がいくつもあった。海が近くて、風が強い。

稚内

13日の夜に稚内へ着いた。最終日は7時45分から3.2km歩いて市内を回り、それから宗谷岬を往復している。片道28kmを43分なので、これは車だ。

戻ってから樺太に関する展示をずっと見ていた。樺太40年の歩み、北緯50度の国境、写真で見る国境画定作業、海底ケーブルと電信回線、石炭の島、稚泊航路。樺太の鉄道や地名は前から調べている。記録を並べると、宗谷岬にいたより長くこの部屋にいたことになる。

そして11時41分のバスで12.2km走って稚内空港へ。13時40分に離陸して、15時27分に羽田。1146kmを1時間47分だ。8日かけて上がってきた距離を、記録の上では1行で戻したことになる。

線路が消えた形

通ってきた区間の廃止年を並べると、こうなる。

  • 寿都鉄道 黒松内から寿都 1972年5月11日
  • 岩内線 小沢から岩内 1985年7月1日
  • 瀬棚線 国縫から瀬棚 1987年3月16日
  • 羽幌線 留萌から幌延 1987年3月30日
  • 江差線 木古内から江差 2014年5月12日
  • 留萌本線 留萌から増毛 2016年12月5日
  • 留萌本線 石狩沼田から留萌 2023年

1980年代に固まっているものと、2010年代以降のものに分かれる。前者は国鉄の末期で、後者はJRになってからの判断だ。同じ「廃線」でも経った時間がまるで違って、羽幌線が消えてから40年近く、留萌に列車が来なくなってからはまだ数年しか経っていない。留萌にレールが残っているのはそのぶんの差でもある。

そして、消えた区間を移動する手段は1つではなかった。バスがあるところはバス、無いところは徒歩、たまたま自転車があれば自転車。鉄道が抜けたあとの穴は、いろんなものが少しずつ埋めている。その埋まり方を見に行くのが、この回り方の面白いところだと思う。